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第1章 洋服の哲学
真の洒落者になるためには
イギリスのテーラーの言葉
-世界の全てが変わっても、自らのスーツのスタイルをしっかりと持っている男。それが一人前の大人というものである。-
一生の財産になる正しい装いを学びたいと決めましたら、ぜひ守っていただきたいことがあります。
それは、巷に出回っている雑誌や、メディアの情報を鵜呑みにしすぎてはいけないということです。多くの媒体は、日々新しいスタイルを作り続けることで、意欲をかきたてます。
流行を意識している間は、本質的なおしゃれは愉しめていないと思っていただいていいかもしれません。
「そういえば最近、買い物してないな」、「最近いいお店が少なくなったな」、と思いはじめたら、感覚が成熟してきたな、と思っていただきたいです。
極論ですが、おしゃれを楽しんでいる内は、本当の洒落者ではないのかもしれません。俗にまみれた世界から抜け出し、自分自身の着こなしを徹底して生き続ける。それが理想です。
また、身近にいる同僚や先輩、街を歩く人とも、肩を並べる必要はありません。
装いに対してまだ関心のうすい日本は、洋服をただのおしゃれ、または作業着としてしかとらえていない人が多くいらっしゃいます。
もしあなたが思い切って、本格的なスーツを新調したとしましょう。すると、昨日までとまるで変わったあなたの雰囲気を見て、周りの人たちはきっとこういうでしょう。
「合コンでも行くんですか?」
「なにかパーティでもあるんですか?」
このように、日本人特有の”いじり”が始まります。ですが、そのいじりに構っている暇はありません。全て褒め言葉だとフィルタリングし、自らが歩たい道を歩んで行くことの方が、よっぽど大事です。
英国をはじめ西洋諸国では、「フォーマルの着こなしを知らずに大人になるほど恥ずかしいことはない」とまでいわれるほどです。これは伝統や文化を重んじる西洋ならではの考え方だと思います。
スーツの着こなしには、「ねばならない」ルールがたくさんあります。はじめは大変ですが、それを習得してしまえば、世界中どこに行っても気後れすることなく、等身大でいることができるようになります。
おしゃれになるために必要なのはセンスではありません。着こなしの美しさは、方程式で構築されています。
メンズフォーマルで、“守・破・離”の言葉を使うとしましたら、“守”を会得することが何より大切です。基本を学ぶことで、いかに小細工をして遊ぶことがスマートでないのかがわかるようになってくるでしょう。
ほんの少しの緊張感を持つ
装いが変わることで、周りの見る目はガラッと変わります。そしてその瞬間から、今までの自分よりも少し気丈にふるまわなければいけない、という”いい”緊張感がうまれます。行くお店も話し方も、歩き方も自然と変わっていくものです。
そもそも、人間は楽をしようと思えば際限なくできる生き物です。日曜日の昼下がりにソファでくつろいでいれば、数十センチ先のリモコンをとることすら面倒になるのが我々人間です。
スーツをより美しく着こなすことのコツは、楽をすることと反対のことをしていただきたいのです。
それは、「少し我慢して着る」ということ。
スーツというのは元々軍服から来ており、人によっては鎧と例える方もいます。スーツを着ている間は、肉体も精神も、少しの緊張感をもっている。
くつろぐのは、スーツを脱ぎ、部屋着に着替えてからでいいのです。ソファに寄りかかりたいけど、スーツにしわが付くからやめよう、というように、多少の緊張感をもちながら、気高く装ってみましょう。その時間を長くしていくことで、いつの間にか自分自身の在り方が磨かれていくことになります。
それに慣れてくると、いつの日かまるで部屋着を着ているかのように、スーツを巧みに着こなしているようになるでしょう。
私の理想とする人は、
「スウェットと着るかのようにタキシードを着こなして、タキシードを着るかのようにスウェットを着る人」
です。つまり、装いを達観した人にとっては、その2つには差がないのです。
その域まで行き着いたら、何を着ていても素敵な人になれます。
洒落者は演者
スーツスタイルを颯爽と自然に着こなすコツですが、それは「何者かになりきること」だと思います。
例えばどこかで新しいスーツを仕立て、今までの装いから変化を遂げると、ほとんどの人ははじめ、気恥ずかしさをおぼえます。そしてその様子は、第三者に感じとられてしまいます。
今まで着たことのない質のスーツを着て街を歩く、そしてそれを自信をもって着るためには、それを着たときは自分ではない、「何者か」の役名をあたえられたというような想像(設定)をしてみてください。
自分は自らの人生の演者であり、クラシックな装いをする役をあたえられたと仮定してみましょう。うまくイメージができれば、少し気恥ずかしさが消えると思います。
その装いを何十回、何百回とし続けることにより、ほかのだれでもない、あなたという本人が自然に着こなすことができるようになっているでしょう。スーツを着ているときだけ、自然と歩き方も話し方も、立ち振る舞いも凛とするようになるはずです。
スーツには他の衣服にはない、そういう力があります。
家に全身鏡はありますか?
お洒落な人とそうでない人、または、年相応に味わい深さが出ている人とそうでない人。
この2種類の人には明確な違いがありますが、要因はシンプルだとわたしは思います。
それは、人生の時間の中で、どれだけ自分を見つめてきているかどうかです。
後者の人たちは、おそらく部屋に全身を写す鏡がない人が多いと思います。
私たち日本人は、男らしさというものと、鏡を見るというのは相反するというような教育をされてきたように感じます。
鏡を見る人は、女々しかったり、ナルシストだと言われたり、自分を見つめることがあまり良くない風潮のように捉えられてしまいがちです。
しかし、考えてみていただきたいです。
なぜTVに出ている有名人や俳優、女優は、年を重ねても美しいのでしょうか。
昨今のTVタレントはごまかして小細工をしているので、あまり良い参考にはなりませんので、昔のTVスターを思い浮かべていただきたいです。
彼らが美しく、イキイキとしているのは、私たち一般人よりも圧倒的に自分を見つめている時間が長いということが大きな理由としてあると思います。
プロポーションの美しさばかりに気をとられてはいけない
わたしが日頃お客様とお話ししていますと、
「わたしは背が低いので、、」
「太ってきてしまったので、痩せないといけないんですよね、、」
というようなことを言われる方が多くいらっしゃいます。
わたしはその度に、絵に描いたような理想的スタイルを持っている人ほど、没個性でお洒落には見えません。と伝えています。
多くの方の美の基準が、若い頃の自分の体重であったり、モデル体型のような人だったりします。
それを目標に身体を整えるという意識は素晴らしいですが、例えばそこに目標を定めて、一回達成されたとしても、それが永続的に続くケースをわたしはあまり見てきていません。
歴史上、お洒落な人と言われている人たちは、みな理想的な体型をしている人ではありません。
むしろ、その反対の人の方が多いとわたしは思います。
ウィンストン・チャーチル、吉田茂、アルフレッド・ヒッチコック、ヘミングウェイ、、、
彼らは決して恵まれたプロポーションを持った人たちではありません。
ですが、彼らの着こなしや立ち姿は人を魅了するものがあります。
体型を美しくするために何かをするということは、健康目的であるのでしたらわるくはありませんが、わたしがこの章でお伝えしたいのは、そういう見た目を変えるということは表面的なことであり、エレガンスを磨く行為とは遠いです、ということです。
洒落者になるためには、外面ばかりではなく、内面を磨くことが何よりも大切です。
最終編集 2023年4月
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