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第8章 フォーマルウェア
ディナージャケット(タキシード)のはじまり
あなたがもし、ドレス・コードに「ブラック・タイ」と明記された招待状を受け取ったとしましたら、それはタキシードを意味しています。決して、黒いタイをすればいいというではありません。
ちなみに「ホワイト・タイ」といわれれば、それは「燕尾服」のことを指します。直接的ではないこういった言い回しに、英国特有の皮肉さと伝統を重んじる姿勢を感じます。
タキシードの発祥にはいくつかのエピソードがあります。諸説ありますので、ご参考までに。
1870年代、ヨーロッパでスモーキング・ジャケットと呼ばれるものが流行しました。形は現在のタキシードとほぼ同じです。燕尾服の裾をカットしたデザインで、襟はショールカラー(ヘチマ襟)、袖口はダブルに折り返されたデザインで、拝絹はキルティング仕様。
スモーキング・ジャケットは、英国の紳士が部屋の中で煙草を吸うくつろぎ服として作られました。
当時の英国皇太子、エドワード7世はこのスモーキング・ジャケットを気に入り、「ワイト島」に持ち込んだと言われています。
イギリスの南端にある島ワイト島は当時、ヴィクトリア女王の保養地であったため、王室や貴族たちの夏の社交場にもなっていきました。
1880年の夏、女王主催のパーティが開かれた際、風変わりな服装をした一人の紳士が現れたのです。それがエドワード7世でした。
その当時は、昼のパーティでは「フロックコート」、夜は「燕尾服」が正装と決まっていました。そんな中、別荘に来たときくらいは少し気楽な格好をしようと、大胆にも燕尾服のしっぽを切り落とした服装で夜会に出かけたのです。
もちろん話題はそのしっぽのない燕尾服に集まりました。何事も簡略化することをよしとしない英国人でしたが、別荘地であるならいいだろう、と衆議で着用を認められたのです。その後、しっぽのない燕尾服は保有地で流行をし、ワイト島でのみ社交場での着用を許されました。その洋服の形は、島の地名を取り、「カウズ」と名づけられたのです。
カウズはその後、本土のロンドンの社交場でも正式に着用を許されるようになり、「ディナージャケット」と呼ばれるようになりました。
この英国での新しいファッションに敏感に反応したアメリカ人がいました。煙草王の息子である、グリスワルド・ロリラードという人です。カウズは海を渡り、1886年10月10日、アメリカ・ニューヨーク州のオレンジ・カウンティにある「タキシード・パーク」で、第一回目の「タキシード・クラブ」という上流階級の社交会が開催されました。
その社交会に、ロリラード氏が真紅のカウズに黒のトラウザーズを合わせた姿で参列しました。これが後にタキシード・クラブのユニフォームになったのです。その後、その装いはアメリカで“タキシード”tuxedo と呼ばれるようになりました。1890年代以降、ニューヨークを中心に流行していったと言われています。
今では1つボタンが基本の形であるディナージャケットですが、実は作られた当時の形は2つボタンが主流でした。なぜなら、燕尾服から派生した服であるからです。燕尾服にはボタンが付いていますが、飾りで実際に付けられることはありません。そのため、はじめの頃はこの2つのボタンも留めて着るものではありませんでした。その後1つボタンが主流となるのは、1893年頃からといわれています。
また、ダブルのディナージャケットもありますが、よりドレッシーなのはシングル仕立てのものとされています。
1830年頃まで、男性のトラウザーズは前が開くタイプではなく、女性のスカートのように、横で留めるタイプのものが一般的でした。
タキシードの横に入っているライン(側章)はその頃の名残です。
前開きの方が便利なので、すぐに行き渡ったのですが、一部の人たちからは、「なんとも下世話なズボンだ!」とヒンシュクを買ったらしいです。そんな言葉が片隅にも残っていないくらい、今はアタリマエになりました。
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