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第1章 洋服の哲学
服はその人の人生を表すもの
「服はその人の人生を表すもの」
というような言葉がありますが、実際どうなのでしょうか。
今の時代、インターネット界隈で声の大きい人たちが、
「洋服は適当で良い、そこに金をかけるなんて馬鹿だ」
というような意見を声を大にしています。
私自身、服飾業界に携わって10数年経ち、日々洋服の魅力を感じています。ただ格好をつけるためだけのものであれば、ここまで全国民を巻き込むものにはなっていないはずです。
服装は、「私はこういう人です」という意思表示ができる立派なツールです。
最近の私はと言えば、洋服に限らず、茶道や美術、音楽、建築などをつまみながら学んでいるところですが、知れば知るほど、すべて行き着くところは、美であり、それは自らがまとう服装にもつながっているということを切に感じます。
私がここにきて思うのは、ファッションというのは、今や全国民が当たり前に扱うものになっていますが、それを煎じて詰めていった先に、本当の服の価値があると感じています。
先人たちの言葉を聞くと、自らが身にまとう服に関心がないという事は、自分は何者であるかということを証言することを放棄していることであるというのです。
フランスの小説家、バルザックは、「服装に関する無関心は自殺に等しい」という激しめな言葉を残しています。
よくもわるくも服装というのは、どこまでいっても、新しい人に出会う時の第一印象であることに未来永劫変わりはありません。
リュックサックにベタベタと缶バッチを貼り、キーホルダーをジャラジャラぶら下げ、かかとがすり減りきた靴を履いている人を見れば、
「あぁ、この人はきっとこういう人だろうな」
というレッテルが相手に自然に貼られるでしょう。
では、会社員の人はスーツを着ていればいいのかという事についてですが、このスーツというのも非常に奥が深く、ただスーツを着ていればオーケーというわけでもありません。
やはり良いものを見てきている人は、ぱっと見ただけで、良いものかそうでないかは一瞬でわかります。
良いものというのは、別に高いものというわけではありません。
リーズナブルなものでも、体にしっかりと合っているものであれば、この人はセンスが良い人だなと思ってもらうことができます。
(そこに行き着くためには、やはりある程度の自己投資は必要になってきますが)
つまり、極論を言ってしまえば、服にこだわるというのは、自分がどういう人と付き合っていきたいのかというところにもつながってきます。
例えば、別にそういうこだわりを持った人が周りにいなくても良い。日々のストレスを発散するような仲間たちがいればそれでいい。ということであれば、自分を良いところに導いてくれる服に気を使う必要はないでしょう。
ですが、自分を信じて、日々より良いものを見て知っていきたい。そこに喜びを感じ、そのような仲間と人生を共にしていきたい。
ということでしたら、私は服に時間とお金をかける価値は、十二分にあると思います。
私自身、生まれも育ちも平々凡々、田舎の生まれの男で、たまたまこういう古いものや本質的なものに興味を持ち、今日に至るわけですが、歴史に名を残す文化人と呼ばれる人たちの書物を読んでいますと、皆口を揃えて言っているのは、美術、芸術、建築、音楽、食事、それらを知ることが人間の生きる喜びである。というようなことを書いています。
それらの中に服装が書いていないじゃないか。と思われるかもしれませんが、それらに関心を持つ人は、自然と自らの服装にも気を遣っているはずです。
ファッションは何段階にも構造が成り立っています。表層は流行であり、徐々に中枢に入っていくと、自らを表す名詞のようなものとなり、芯へと近づいてくると、やはり文化なのです。
服装をファッションと捉えるか、カルチャーと捉えるか、それによって、自分自身の生きていく姿勢が大きく変わってきます。
それらは、今のこの行き過ぎた資本主義社会では、全て必要のないものとされています。
目の前の数字が欲しい今の世の中にとって、数字にならないもの、数値化できないものは、無価値と言われてしまいます。
ですが、これは私が思うに、1つの時代の思考のブームだと思うのです。
今、この行き過ぎた資本主義の時代に、本質的なものが求められていないというのであれば、だからこそ私は皆が数字数字と踊らされている時にこそ、本質的なものに目を向けることで、自らをより高めていくことができ、それが、自然と誰とも競わず、争わず、ただあなただけの価値、魅力として活きる時が間違いなく来ると思っています。
美術、芸術、建築、音楽、食事のようなカルチャーを学ぶことは、今の時代とても遠回りに感じるでしょう。
すぐに売上や成果につながるものではありません。
美術館に足繁く通い、映画を観て、旅をする。これらにお金と時間をかけるより、転職をして年収を上げる、役職を上げることの方が、ルートマップが明確にあるので、目に見えて成果がわかりやすいです。
文化を育むことがもし、必要のないものでしたら、とっくになくなっているはずです。しかしなぜなくならないのでしょう。
答えはシンプル、人間にとって必要なものだからです。
今のこの思考のブームが終わった時に、次の思考のブームが来るでしょう。ですが、いつの時代も、文化を育む人は必ず生き続けると私は思っています。
2023年4月擱筆
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