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第1章 洋服の哲学
自らの流儀を持つ
「洋服」は字の如く、西洋からわたってきた服です。日本には歴史のある和装がありましたが、世界標準が洋装になったことをきっかけに、大きなハンディキャップを背負った状態で世界と戦わなくてはいけなくなりました。
そもそも洋装である以上、西洋人より似合うはずがありません。これは和装は誰よりも日本人が似合うのと同じことです。
西洋人は我々よりも、肩幅が広く、上背もあり、胸板が厚い、そのうえ手も足も長いです。こういったスタイルを持ち合わせた彼らが作った服がスーツです。それに対して、顔が大きく、肩幅が狭い。そのうえ上背も低く、全体のスタイルも劣る日本人が、西洋人が着ているような服を同じように着ても、かっこよく着こなせるはずがありません。
日本人が似合う雰囲気、色柄はあります。ただそれがわからず、真似事をしているだけでは同じ土俵には立てません。外国人モデルばかりが出ている雑誌は流し見する程度で十分でしょう。雑誌を見る時間よりも大切なのは、自分の顔、全身を見つめ、自分に似合うスタイルをじっくりと探していくことです。
英国王室御用達のビスポーク(オーダー)シャツメーカーで、「Turnbull & Asser(ターンブル&アッサー)」 というブランドがあります。そこのシャツは柄が強く、シャツ以外にもタイや他の衣服も作っていますが、どれも柄が強いものばかりです。日本人にはとても着こなすのが難しいと思えてしまう物が多いのですが、なぜかイギリス人はそれを自然と着こなすことができます。これは恰幅と顔立ちの問題が大いにあるでしょう。静かなる国民である日本人には、無地で無口に物語る服が性に合っているとわたしは思います。
和服の似合う外国人や、日本語を流暢に話せる外国人が日本人から賞賛されるように、洋服をたくみに着こなせる日本人であれば、世界中どこに行っても賞賛されるようになるでしょう。
アーティストやモデル、芸能人が着ているきらびやかな衣装は、一見するとかっこよく見えます。そういう洋服を着たくなる気持ちはわかりますが、アーティストや芸能界は、人々に夢をあたえる仕事です。そのため、必要以上に派手でスタイルの強いきらびやかな衣装を着てTVやステージの前に立ちます。モデルや芸能人が着ているものと、わたしたちが日常的に着るものはまったく別物だと捉えてください。
服に一人歩きされないよう、自分の等身大を意識した服選びを心がけましょう。
着飾る事は悪なのか
私たちは洋服と密接に繋がっているのに、なぜか着飾ることにはネガティヴな印象をもっている人も少なくありません。
昔は生まれた場所で咲いて散るのが人生でした。しかし、今私たちが生きている時代は違います。自分で生きたい生き方ができる時代です。
今までは当たり前に、私はこういう生まれだから、こう生きると悟っていたかもしれませんが、今は自由に選択することができます。
そうなると、今はこういう仕事をしているから、これが私の人生なんだ、と諦めに似た感情で自分に杭を打つような考え方は、古い考え方かもしれません。
卵が先か鶏が先かですが、もし自分がこういう人生を生きたいと思ったとしたら、そのように生きている人として、生きる準備(覚悟)をすればいいのです。そこでまず、手っ取り早いのは服装を変えることだと私は思います。
馬子にも衣装と言われても結構です。それが様になっていく過程も楽しみましょう。
自分がなりたい像があるというのは、今の時代とても恵まれていることだと思います。
それに向かって自分を磨いていけばいいのです。
着飾る事は自分のセンスを表現する
洋服を選んでそれを着るということは、第一に相手に与える無言のプレゼンテーションです。
スーツスタイルにしても、どのようなスタイルが好きかによって、自分の世界観は相手に汲み取るように伝わります。
例えば、アフリカのコンゴ共和国に、サプールという人たちがいます。
彼らは貧乏で全くお金がないにも関わらず、高い洋服に身を包み、派手な服装で街を歩く有名人たちです。
彼らのことを手放しで格好いいと評価するメディアはたくさんあります。綺麗な洋服を汚したくないために、争い事をしないという平和主義者です。
ポールスミスも、彼らにインスピレーションを受け、コレクションを作ったことがあるほどです。
そのような彼らを見て、私は一部賛同しますが、一部は賛同しかねるところがあります。
なぜかと言いますと、ファッションはその人の自己表現であり、その人が今までの人生で、何を見て何を感じたのかが、素直に表れる場だからです。
サプールを見た私の印象としましては、
「ブランド物がカッコいいという指標が最も高いのだろう。無理はない。それだけ良いもの(本物)を見る環境(機会)が少ないのだから」
と思いました。
世の中は全てインプットとアウトプットです。
その人のアウトプットの質を見ることで、今まで何をインプットしてきたかがわかります。
これが例えば流行り物の服を身にまとっていたとしたら、「自分の選ぶものに自信がないのだろう」と思いますし、安物ばかりで適当に済ませている人を見れば、「こだわりという価値観があまりない人なのかもしれない」と思われるかもしれません。
ノームコアというスタイルを世に浸透させたスティーブ・ジョブズは、服装に関心がないと謳っていますが、彼は私から見ると、立派なこだわりを持った人だと思います。
彼は毎日同じ服でいいと悟り、同じイッセイミヤケのタートルネックを何着も買い、それを毎日着ていた人です。
そして眼鏡はドイツのルノアというブランドのものを掛けていました。
そんな彼を誰がダサいと言えるでしょう。
彼は服を選ぶことに時間と思考力を使いたくないために、彼が選んだ最高品質のものを365日着ることを決めました。そこには緻密な計算(無意識レベルかもしれません)があったことは容易に想像がつきます。
洋服に興味がない?
洋服に興味はないから、手に入りやすいものを適当に選んでいる、という方は、実はその時点で、流行り物に流されていることになっていることに気がついていません。
なぜかと言いますと、手に入りやすいものはマーケティングや戦略的に作られた洋服であるため、流行服である可能性が高いからです。
最近で言いますと、カジュアル化された今はジャージーやニット素材のパンツにスニーカー。そしてシンプルなTシャツという簡素な着こなしが流行っています。
「これでいいじゃん」
と思っている方で、今はこのようなイマドキなファッションをしていても、果たして5年後に、全く同じ洋服でいるかといえば、疑問符がつきます。
つまり、興味がないと言っている人こそ、洋服の流行の中にどっぷり浸かってしまっているということです。
これを聞くと、適当でいいという人と、先に書いたスティーブ・ジョブズ氏との思考の深さに大きな差があることに気づいていただけるでしょう。
ブランド物や流行り物に身を包むことによって、一定の安堵感を得ることはできるでしょう。
しかし、それは他人の力を借りているだけで、自分が評価されているのではありません。
高いブランドの洋服に身を包むことによって、物が自分に入ってくるのではなく、自分が物に入ることになるのです。
限定ものやレアなものも然り。
オーダー服を選ぶということは、ブランドものに頼るのではなく、自らがブランドになるための選択をしたということになります。
それは一朝一夕では成し得ないことですが、じっくり時間をかけていくことで、やがてブランドものには頼らなくとも、自己ブランドが完成されていきます。
最終編集2023年6月
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