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第6章 ネクタイ
ネクタイの起源
ネクタイの正しい呼び名
英国ではネクタイをタイ(tie)とよぶのが一般的です。アメリカではネック・ウェア(neck wear)、ネック・クロース(neck cloth)とよび、日本で言うネクタイは、ネック(顎)のまわりに巻くタイというところからきています。
フランスでは「クラヴァット」と呼び、そのはじまりは17世紀までさかのぼります。
クロアチアの騎兵隊が始まり
当時、フランス王国で太陽王と呼ばれたルイ14世の警護にやってきたクロアチアの騎兵隊らが、首に白い布切れを巻きつけており、それを見た王が大変気に入り同じ物を作らせたそうです。それをきっかけに宮廷で流行するようになったという説が、有力であるといわれています。
クロアチア(Croatia)はフランス語でクロアット(Croate)と表現し、これがなまりクラヴァットとよばれるようになりました。
その当時、兵士のお守りとして妻や恋人が贈るという習慣があり、クロアチアの兵士たちはそれを忠実に守っていたと考えられています。
<太陽王 ルイ14世>
時代によって変化するネクタイ
当時は結び巻くスタイルであったクラヴァットですが、その後英国の社交界へと渡り、アスコット式へと変わっていきました。そして現代のような結び下げ式へ変わっていったのは、1850年代にダブルカラー(現代の折り襟)式のシャツが生まれたことによって出回るようになりました。
その頃のスーツスタイルは上着のボタン位置が非常に高く、結び目以外の見える部分はわずかでした。そのため、1860年は、「ボウタイ(蝶ネクタイ)」の原形である「パフ・タイ」が使われることが多くなったのです。
その後、タイは英国の社交界へと渡ります。
1900年代に入り、少しずつ装いも現代的になってきます。そして現代の大剣と小剣がある「フォア・イン・ハンド」式のタイが確立したのは、1920年代頃だと言われています。
この結び下げ式の呼び名である「フォアインハンド」ですが、その意味は、当時英国で一般的であった四頭立ての馬車、フォアインハンドキャリージにちなんでつけられたと言われています。
余談ですが、日本にはじめてネクタイを伝えたのはジョン万次郎で、1851年(嘉永4年)、アメリカから「白鹿襟飾三個」を持ち帰ったことが最初とされています。
1900年になると、英国ではクラヴァットが男の紋章といった重要な意味を持つようになります。
当時は糊で固めたハイカラーのシャツに、細い幅のクラヴァットが結ばれました。
当時は襟の開きが狭いラウンドカラーが流行していたため、結び方なプレーンノットで小さく結ぶのが一般的でした。
その後、20〜30年代に、今の大剣と小剣から作られるフォアインハンドのクラヴァットが完成した。
このとき、結び目をほどいたときにすぐ元の形に戻るように、生地をバイアスにカットした技術が使われるようになりました。
この頃から、今までレジメンタルやドットだけだった柄から、動物柄や様々な模様の柄も出てくるようになってきます。
30年代になると、スーツは肩幅の広いボールドルックが主流になってきます。
襟幅が広く、ダブル前のスーツにボウタイを合わせるスタイルが流行りました。
ツイードのスポーツジャケットにボウタイを結び、ゆったりとしたトラウザーズにコンビシューズというコーディネートで週末を過ごすスタイルが流行し。
40年代になるとシャツの襟幅が広くなるに伴い、ネクタイの結び目も大きくなってきます。
この流れはウィンザー公の影響が大きいでしょう。今まで狭かった襟が開き、ウィンザーノットが定着していきます。
50年代になると、幅が広いクラヴァットが廃れ、今度は小さな結び目をのクラヴァットが主流になっていきます。
とまぁ、ここまで書いていきますとお分かりのように、10年周期で世界的に流行というのが変わってきているのです。
狭くなるのと広くなるのを繰り返し、右往左往する国民。
最中にいる私たちにできることは、流行はしっかりと見ながらも、自分軸を持つということが、何よりも大切だと思います。
最終編集 2024年5月
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